HHAYT

ブログ書くのって咳とかウンコすんのと似てる

コロナ祭

 

このところ若手からプロからエセ、金目当てまであらゆるドクターの(まあドクターに限った話ではないが)アカウントがコロナの話をしているが、おかげでタイムラインがつまらないことこの上ない。
どんなに言葉を尽くしても無意味なのだから、諦めていつも通りメシとか猫とか映画の話でもしていればいいのに。


と言いつつコロナの話をしているじゃん!という向きにおかれましては、安心したまえ。

これはコロナの話ではない。
メシの話も、猫や映画の話も出来ないから、憎しみの話をすることにしたんだよ。


どの専門職の方も思う所だろうが、この国の(と言えるほど他の国を知らないが)とことんまで専門家を軽視する風習にはうんざりしている。
うんざりしきっている。
どの分野でもそうだが、知見を持つものは実権を持たず、わけのわからん輩が音頭を取って、場を仕切っている。
検査を手当り次第にやればいい、とかならまだ科学的/臨床的鍛錬を受けてきていないんだなあ(≒他者の意見を検討/吟味出来ないんだなあ)で済むが、26℃のお湯を飲めばウイルスが死滅する、のような呪術としか言えないまやかしが公然と流布されるのに至ってはどうか。頭痛がしてくるというか、アホ過ぎてなんか眠くなる。というか、普段から思うが、一体脳味噌のどこをとうやったら、それを生業にして常々研鑽を積んでいる人間の意見より、ネットに埋もれたゴミブログとか、ママ友の噂とか、インスタで流れてくるキャベツ湿布とかを優先的に信じるということになるのだろう。どころか、それを不特定多数に拡散したり、さらには公の立場から発信しさえするという。。。


自分で見つけた情報には価値があると思いこむ、というよくあるバイアスのひとつの形であったり、あるいはより良いものはより深く隠匿されており、特定の人間しか享受できないという思い込みであったりするんだろうが、普段の業務の合間を縫ってこうした愚かさを煮詰めた坩堝に対して日々鎮火/消炎を試みる諸先生方の御苦労及び高邁な精神性には感服せざるを得ない。
医者たるべき医者というか。
私は医者たるべき医者にはなれないので、そういった事象に触れる度に怒りと憎しみと諦めばかりを感じてしまう。

ダークサイドに堕ちた篠原涼子みたいだな。


蔓延するだけ蔓延すればいいと思うよ。年寄りから始め、バカもインテリももどきや崩れも、金持ちも貧乏人も、どんどん狂騒すればいい。病院機能も止まればいい、いつまで止まってたって別に構わない。誰が私に給料を出すんだという問題はあるけれども、私もいっぱしの人間だから、頑張って生きていくよ。あるいは死んだりするかも知れないが、自分のことだからね。そん時は仕方ない。心配してくれてありがとう。
だいたい、みんなそのうち苦しんだり苦しまなかったりして死んでいくんだからさ。

来世はまともな社会に生を受けような。


こんな愚かな祭の中で、狂泉の水を飲んだ者達は今も楽しげに乱痴気をしている。謎の肩書を持ったウェーイなコメンテーターが偉い顔をして、専門家達が陰キャの巣窟に押し込められた世界でまともな計画など立案されはしない。始まっているのはスダンの渡河戦だ。

曖昧と境界

 南の島で過ごした短い日々のことを思い出していた。

 あれは、ダイビングをしに行ったんだったな。
 
 タオ島には予約の何日か前についた。
 とりあえず宿を探して、高くも安くもないゲストハウスが見つかって、荷物とも言えない荷物を下ろして、煙草に火を付けて。島内のスーパーマーケットや駄菓子屋を物色し、どこも似たり寄ったりの土産物屋をブラついて、使わないだろうな、と思いながら買ったサングラスをポッケに入れて、きびきびと働く、屋台の青年の横顔を見る。
 幾つくらいだろう、君の歳は。きっと僕より若いだろうな。君は知っているだろうか。僕の国では、君が作るのより不味いジュースが、4倍の値段で行列を作るんだ。
 
 賑わいを離れて、ダイブショップの敷地を抜けて、でっかい椰子の枯葉を跨いで浜辺に出ると、観光地にしては珍しく、ジェットスキーがブンブン走り回っていたりしない、まともに静かな海がある。
 遥か遠くに1、2隻のヨットが見えるのと、ビーチチェアの上で打ち上げられたアザラシのようになっている白人のオジサンがひとり。どうやら日光浴をしているうちに寝てしまったものらしい。ゆっくりと上下するオジサンのデカい腹の向こうには、やたら長い学名を持った南国の鳥のクチバシみたいに、浜辺がにゅうっと伸びている。
 
 海に入ると、思っていたより水は冷たくて、日差しに焼けた皮膚の一片一片が、シンプルな喜びを伝えてくる。水をかく指の感触や、身体を包み流れる圧力の移ろい、頬を冷ます飛沫、緩やかな速度や、そういったものども。
 くるっと仰向けになってみると、目に映る限りの、なんもかんもが青空ばかりで、いつまでそうしていても、水の音と、潮の匂いの他には何もない。
 だんだん曖昧になっていく。少しずつ膨化していく。
 このまま死んだらどうだろうと考える。皮膚が腐り、外界と自分とを隔てるものがなくなり、周囲の塩水との浸透圧差がなくなるまで、自分の身体は膨張し、意味を失い続け、やがて自分であったものと自分でなかったものの電解質濃度が均衡する。海になるのだ。
 
 海から上がって、高くも安くもない、と先程述べたゲストハウスに引っ込んで、シャワーの水栓を捻ると、ちゃんと暖かいお湯が出てきて驚く。今後は安いゲストハウスと言う事にしようと考える。駄菓子屋で買った石鹸の封を切る。嗅ぎ慣れない匂いがする。身体中をその泡で洗ってしまうと、再び去来する、ひとつの感覚。
 
 海や異国の石鹸の匂いを引きずったまま、まだクソ暑い昼下がりの南国に、ただ寝転がって曖昧になっていると、ドアをノックする音が聴こえる。
 ゲストハウスを探しているうちに知り合った兄ちゃんが、様子見に訪ねてきたのだ。
何してたの、泳いできたんだ、と二言三言交わしたあたりで、兄ちゃんが、島をちょっと見に行かないかと誘いをくれる。一回り案内したげるよ。おにーさん、ゴ・タオは初めてなんでしょ?
 
 彼のバイクの後ろに乗って、島を一回り走った。ビーチの周りの賑わいと、閑静な高級リゾートと、その裏手に積まれたゴミの山と、誰もいない浜辺。ここ、気に入ってるんだよね。私有地だから、こっから先は行けないんだけどさ。でも、眺め、最高でしょ。
 山の方のクラブに、先月警察が入ったらしいんだ。葉っぱの売り買いがあったから。ヨソでもやってるけどね。おにーさんはクラブ遊びとかすんの?
 
 タオを離れて、タイ本土に戻る前の数日を、サムイ島(暑い)で過ごした。
 観光規模も実際のサイズもタオの数倍ある島なので、ブラついているとすぐにコンビニが見つかる。密度を言うなら僕の地元より高いだろう。市場近くのセブンに入ると、南国らしく冷房が効いていて、南国らしく店員が寝ている。
 でっかい箱に竜が描かれたマッチを見つけて、おーかっこいい、と即決で買うことにした。ライターのオイルが切れていたから。80本、とか入って40円もしない。お得だ。
 
 目の前に立っても店員は起きない。綺麗にカールした黒髪の頭が、そういうオブジェです、というような顔をして、カウンターから生えている。そういう場合に、例えば咳、とかをする風習は持ち合わせがないので、例のでっかい80本マッチをカウンターに置くと、その気配でようやく目が覚めたらしい。慌てて身体を起こした店員の姉ちゃんは、ちょっと決まり悪そうに笑って、その笑顔が不思議なことに、「自分が責められている時でもニヤニヤしていて非常に無責任に見える」と海外では評判されるらしい、僕らの見慣れた笑顔に似ていた。
 
 サムイを離れる朝、ゲストハウスの受付で呼び鈴を鳴らすと、奥の部屋から、な~に、と声がする。チェックアウトしたいんだけど、と僕が言うと、なんだ君か、待ってたよ、とオーナーの兄ちゃんが出てきて、小脇にヘルメットを抱えているのを見て僕は驚く。空港まででしょ?送ってくよ。ここの店番?いーんだよ、大丈夫。
 
 空港、そんなに遠くないけどさ。タクシー呼ぶとボられるよ。おにーさん人が良さそうだから。え?そんなことないって?いや、わかるのよ、客商売だから。
 
 空港へと切られた新しい道路は、まだ時間が早いこともあって、随分すいている。小型バイクの後部座席から、冷めた空気の色合いや、さとうきびみたいな、丈の高い草の群れを眺めている。何日か前にもこんなことがあった。陽が温める前の大気の層を、乱さずに駆け下りていく、その静かなスピード。
 
 ミャンマーの人は多いよ。サムイも、タオもさ。実は僕もそうでさ。ミャンマーから来た。仕事に困らないしね。食うのに困らない。向こうよりずっといい。
 まぁ、困ることもあるけど。追い出される人たちもいる。元からいた人たちにね。俺たちが来たせいで、仕事がなくなる人がいる。
 
 あ、ほら、あの建物、空港ね。あ、覚えてるか。うはは。良かった。
 
 またサムイに来たら寄ってね。そしたらまたこうやって空港まで乗っけてあげよう。多分何年かは覚えてるだろう。君の名前は憶えやすいから。え?そうだよ。君の名前は、他の日本人の名前より憶えやすい。
 
 去っていく原チャの背中を見送って、一昨日コンビニで買ったマッチを取り出すと、軸がヘナヘナのクズ木同然で、擦るそばから二本立て続けに折れた。特に二本目のやつなんか、本当に手ごたえもなく折れてしまって、あまりにも呆気なくて、そのくせ竜のパッケージだけは猛々しい顔をしていて、それが妙に笑えた。
 三本目でようやく煙草に火が点いて、ほう、と煙を吐きながら、この調子なら80本はすぐになくなってしまうだろうなと考えた。
 
 その翌年、タオ島で英国人が二人惨殺され、犯人として三人のミャンマー人が逮捕された。三人は一度自白したものの、後に撤回。警察による拷問と自白の強要があったと主張する。島民からも警察から金銭を渡され虚偽の証言をするよう迫られたという声が上がって、やがてはタイ政府がこの事件について声明を出す(その後のことは知らない)。
 さらにその翌年、サムイ島でミャンマー人男性が殺害され、島の警察が「犯人はミャンマー人だろうと思う。ミャンマー人は暴力的だから」と一番乗りで声明して非難を浴びる(こっちも、その後のことは知らない)。
 
 タイ国内で暮らすミャンマー出身の移民労働者は百万人を超えるとも見積もられていて、不法移民の数も相当数に上るようです。そういう人々が、暴力や搾取、場合によっては人身売買の対象になったり、時として正規労働者の半分に満たない給料で殆ど奴隷的とも言える労働に従事させられたりするのは何も珍しいことではない。
 そんで、そーゆーのはどうせ南の島の話だろう、と思っているとするならそれは大きな勘違いで、日本国内にもそういう移民を奴隷にして搾取する薄暗いビジネスがちゃあんと息づいている。
 中国やベトナムなんかで、ちょっと日本でひと稼ぎして家族に楽させてやんない、と広告を打って、騙されてやってきた若者たちを手籠めにする。正規の労働者じゃなくて「農業研修生」だから、時給300円、とかでいくらでも扱き使える。
 皆が皆不法移民というわけではなかろうが、この農業研修生、という非正規外国人労働者たちは、多分日本中どこにでもいる。
 僕の住んでいる栃木県にも、いるもんね。イチゴ農園で働いている研修生です、という中国語のメールがwechat経由で届いたことがある。彼女はどうも、帰国期限が来る前にどうにかしようと、頑張ってボーイフレンドを探しているようだった。語学学習には恋人を作るのが一番というしな、と血迷った後で、冷静に考え直して結論を出し、色々の言い訳を駆使してデートのお誘いを断り続けた青春の日々は今でも忘れられない。
 
 タオの海でぼんやり空を眺めたあの日から、二年と五カ月が過ぎた。
 あれから夏を二度過ごしたが、帰国してから今まで、一度も海で泳いでいない。土産物屋で買ったサングラスは今でも値札が付いたまま、この部屋のどこかで眠っているだろう。
 すぐに使い終わる筈だったマッチは、案外長持ちした。クズマッチを折らずに灯す技は今でも錆びついていないと思う。コツがあるんだよね。優しすぎてもいけないんだ。
 中身が無くなってしまってからも、外函の竜の空威張りが可愛くて、しばらく引き出しに眠らせていたが、ある日、何気なく手に取って眺めているうちに、あれはもう去年の事でさえないのだと気が付いてしまった。分かれ道でさよならを切り出すには適切なタイミングがあるのと同じ事で、思い出になるべきタイミングが、このマッチ箱と、それ以外の諸々にも、いつの間にか訪れていたのだ。